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浜口雄幸についての簡単な一文


2022-07-08 22:13:38
カテゴリー:その他

かつて城山三郎『男子の本懐』と波多野勝『浜口雄幸―政党政治の試験時代』を読んだことがあるので、その時の記憶をたよりに。

戦前、昭和初期に浜口雄幸という首相が日本にいた。

当時の日本は第一次世界大戦時の好景気のあとの不況に苦しんでいて、そこを打開するための経済政策が望まれていた。

浜口は蔵相に井上準之助を起用し、金解禁をはじめとする経済政策を打ち出すが、おり悪く世界恐慌と重なってしまい、かえってさらなる不況をまねいてしまう。

また彼の任期中に、主力艦の列国間での保有比率を取り決めたワシントン海軍軍縮条約に続いて、補助艦の保有比率を定めたロンドン海軍軍縮条約が列国間と結ばれた。

ワシントンにて主力艦の保有比率を対英米の6割とされた日本海軍は、来るロンドンでは補助艦の保有比率を対英米の7割とすべく、国防には7割が必要であることを日本国民にアピールする。
(なぜ7割にこだわったかは、当時ランチェスターの法則により、保有比率が7割なら二乗で戦力が100:49となり、漸減邀撃作戦をとれば対米戦でも"まだ"勝算があるとされたから)

結果として補助艦の保有比率は6割9分7厘5毛で妥結されるが、7割に満たなかったにもかかわらず条約を締結したことを政友会の犬養毅や日本海軍の艦隊派から「統帥権干犯」として盛大にたたかれ、ついには東京駅頭で右翼青年に銃撃されてしまう。

浜口の行った経済政策については批判もあるが、彼自身の人格と謹恪さには定評があり、党利党略を優先しがちな政党政治家にあっては惜しむべき人物に違いなかった。

「統帥権干犯」として、同じ政党政治家でありながら浜口をやり玉に上げた犬養ものちに五・一五事件で海軍将校に殺され、戦前における政党による議会政治は少しずつ萎縮を余儀なくされていく。



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