『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』 感想
森 三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』を読了したのでその感想。
本書との個人的な来歴学生時代は六朝史をテーマに卒論を書いたこともあり、六朝政治史に絡んだ書籍は色々とリサーチして読んだが、本書もそのうちの一冊。
ただ読んだといってもそれはサーラ叢書の旧版で、しかも長らく絶版だったため、当時は大学の書庫にあったのを借りて読むしかなかったのだが、まさか新版になって再び世に出てくるとは思ってもいなかった。
六朝史・魏晋南北朝史を扱った概説書としては川勝義男『魏晋南北朝』や岡崎文夫『魏晋南北朝通史 (内編)』、中公文庫の『中国文明の歴史』シリーズ、講談社の『中国の歴史』シリーズなど色々あるが、そこから一歩踏み込もうとすると大体学術雑誌か論文集を読むしかなかったこともあり、『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』のような書籍は個人的に貴重だった。
今改めて調べてみると、同様に長らく絶版だった吉川忠夫『劉裕―江南の英雄宋の武帝』や吉川忠夫『侯景の乱始末記―南朝貴族社会の命運』が新版になって出ていたり、窪添慶文『北魏史 洛陽遷都の前と後』のように北魏で丸々一冊扱った本が出ていたりと魏晋南北朝という時代の裾野が少しずつ広がっているのだなぁと感じる。
梁の武帝について
魏晋南北朝の南朝には「宋斉梁陳」の四王朝が存在するが、そのうち梁王朝の初代皇帝が本書の紹介されている梁の武帝(蕭衍:464-549)。
皇帝としての在位は48年にわたり、南朝では劉宋の元嘉年間、南斉の永明年間と並んでその治世が称される。
彼の開いた梁王朝のもとで南朝文化が花開くが、その治世の末期に起こった北魏の分裂に軍事介入しようとして失敗。
かえって東魏の降将侯景に首都健康を囲まれたのち幽閉され、そのまま崩御。
南朝における貴族文化の繁栄もこれを機に過去のものとなり、南朝は陳を経て隋によって統一されることになる。
本書の感想
梁の武帝の伝記ではあるが、その政治的な業績というよりも、南朝文化を背景とした武帝の思想的な個性と、その個性がどのように彼の治世に反映されたのかを問うのが本書のメイン。
曰く、漢代の士大夫の関心は儒教全振りであったが、魏晋を経た南朝では玄儒文史+仏教をバランスよく身に着けることが士大夫の教養として重要視されたと説く。
また身に着けた教養も南朝では貴族の社交場であった談論で消費されるためのものという面が強く、教養のための教養であり、儒教からは治国平天下の実践精神が、玄学からは政治的逆境を韜晦する孤高の精神が失われていたとする。
梁の武帝自身も当時一級の教養を備えた、軍人上がりの家系の多い南朝宗室では珍しいタイプの皇帝であり、深い仏教信仰による寛仁な政治的態度と半世紀にも及ぶ長い在位が南朝文化の盛世をもたらしたことは著者も認めつつも、その時代的な精神と同様に、政治的態度であった「寛仁さ」を裏打ちする具体的な政策の実施に欠いていたと指摘。むしろ寛仁さは宗室間の放縦と不和を助長し、侯景の乱から一挙に王朝崩壊に繋がってしまったことの一つの要因となったとする。
他の概説書では紹介されたりするような、梁の武帝による官制改革や鉄銭鋳造の経済政策等には本書では触れられないが、宋斉室の皇帝たちと梁の武帝の資質の違いや、彼の治世を支えた臣下たちについても具体的なエピソードを交えて紹介しており、六朝史に興味のある方は読んでみて損はないと思う。
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