『諸葛孔明』 感想
人物往来社 中国人物叢書シリーズのうち、第1期の2巻にあたる狩野直禎『諸葛孔明』を読了。
本書は陳寿『三国志』の諸葛亮伝をベースとした諸葛亮の伝記。
後漢末の社会情勢からの群雄割拠、三国鼎立に至る経緯を簡単に解説しつつ、諸葛亮の生い立ちから五丈原での死没までを記述する、オーソドックスな評伝。
三国志に関する書籍はライトなものから陳寿『三国志』の和訳すら存在する昨今、様々な書籍を読みこなしてきた読者からすれば、内容がオーソドックスすぎて物足りないかもしれない。
学生の時分、植村清二『諸葛孔明』を読んだときは確かにそう感じたのを覚えているが、あれからしばらく時が経って三国志の話の細部を忘失しかけていたので、話の筋を思い出しながら、三国志に熱中していた頃を懐かしみながら読むことができた。
語り口も平易で、いい意味で奇を衒っておらず読みやすい。
ただ三国志関連の本を読んでいていつも思うのは、「智謀の戦略家」というより「誠実な軍政家」という方が諸葛亮の実像に近いのだろう、ということ。
「北伐」という形で中原回復の師を起こしたのは彼だけではない。
下って東晋の桓温、劉宋の劉裕、梁の陳慶之といった人々は、北伐を敢行して一時的にせよ北族の諸王朝から洛陽あるいは長安を回復している。
諸葛亮が講談で語られるような「智謀の戦略家」であったならば、明帝治下の割としっかりしている曹魏を相手取っても長安を一時占領するぐらいはできただろう。
結局漢王朝復興・中原回復を遂げることなく諸葛亮は五丈原に没するが、『出師の表』の文章からにじみ出てくる彼の赤心といい、亡き劉備の宿願に対してあくまで添い続けようとするひたむきさといい、そこには人の心を打つ誠実さがある。
『出師の表』の冒頭に、文武の臣下が刻苦精励するのは「蓋し先帝の殊遇を追いて,之を陛下に報ぜんと欲すればなり」という一節があるが、他ならぬ諸葛亮自身が誰よりも強くそう思っていたのだろう。
中古での購入のため、前所有者の読書印あり。
(古めの書籍を購入するとたまにある)
初版発行が「昭和41(1966)年1月10日」なのに読書印の日付が「1965年12月28日」となっているのはちょっと不思議。